新しい教室 北海道大学病院呼吸器外科学教室が誕生

このたび北海道大学病院の診療科の再編に伴い、循環器・呼吸器外科より分離し、新しく呼吸器外科学教室としてスタートを切ることになりました。もともと北海道大学において「呼吸器外科」は、1924年の外科学第二講座の開設当時から呼吸器グループとしてほぼ独立した診療体制がとられており、気管支喘息の外科治療に始まり、亡国病とまで言われた肺結核の外科治療を大学および関連病院で幅広く担当してきました。その後、大学院の改組により腫瘍外科学講座として、消化器外科と呼吸器外科は両輪として発展を続け、平成24年には臓器別診療科構想の一端として、旧第二外科肝胆膵グループ・消化器グループは消化器外科Ⅱとなり、呼吸器グループは循環器外科と合流し「循環器・呼吸器外科」が発足しました。北海道大学病院ではそのとき診療科名として初めて「呼吸器外科」を標榜し、以来、科として独立した診療体系をとってきましたが、今回、大学院医学院の中に新しく呼吸器外科教室が設置されました。

教室誕生に至る歴史

1924年(大正13年)
北海道大学外科学第二講座の開設(柳 壮一初代教授)
呼吸器班として診療にあたる
1932年(昭和7年)
柳 壮一教授が第33回日本外科学会で「気管支喘息の外科、特にキュンメル氏頸部交感神経切除」を報告
1953年(昭和7年)
奥田義正教授(北大1期、第二外科2代教授)が肺結核に対する最初の胸郭成形術を執刀
大学、関連病院(簾舞療養所(国立第二病院、後に国立病院機構札幌南病院)などで肺結核に対する外科治療が全盛
1960年(昭和35年)
渡辺正二先生(15期)が日本胸部外科学会誌に「肺切除術の合併症と対策」を発表
1960年(昭和35年)
青木高志先生(20期)が日本外科学会北海道地方会で「肺臓外科の変遷」を報告
1962年(昭和37年)
岩 喬(たかし)先生(25期、のち札幌医大→金沢大教授)が第15回胸部外科学会で「肺結核に対する骨膜外パラフィン充填術」を報告
この頃より教室でも肺結核の外科から次第に肺癌の外科へ変遷
1962年(昭和37年)
鮫島夏樹先生(23期、のち旭川医大教授、病院長)が日本外科学会北海道地方会で「肺癌治療の最近の問題」を報告
1966年(昭和41年)
杉江三郎教授(第二外科3代教授)が第19回日本胸部外科学会シンポジウムで「肺癌治療の困難性」を報告
1967年(昭和42年)
田邊達三先生(30期、のち第二外科4代教授)が北海道外科学会で「肺癌に対する抗がん剤の気管支動脈注入療法」を報告
1974年(昭和49年)
久保良彦先生(32期、のちに旭川医大教授、学長)が「気管・気管支形成を併用した肺切除術」を発表
1979年(昭和54年)
橋本正人先生(38期、のち第二外科助教授)が胸部外科誌に「肺癌切除症例のN因子と遠隔成績」について発表
1991年(平成3年)
岡安健至先生(49期、のち第二外科助教授)が第32回日本肺癌学会で「2cm以下の肺癌切除例」を報告
1994年(平成6年)
本原敏司講師(49期、のち第二外科助教授)が着任 多数の拡大手術に従事
1997年(平成9年)
森川利昭講師(のちに慈恵医大呼吸器外科教授)が着任 教室に胸腔鏡手術を導入
2005年(平成17年)
加賀基知三先生が着任(のち北海道大学病院診療教授) 二窓法手術の導入
2012年(平成24年)
診療科再編により循環器外科と統合 循環器・呼吸器外科学講座(松居喜郎教授)が誕生
北海道大学病院呼吸器外科を標榜
2018年(平成30年)
ロボット手術の導入
2022年(令和4年)
北海道大学大学院医学院外科学講座呼吸器外科学教室が誕生
加藤達哉教授が初代教授として着任